学習する、という意味

el-Manabiをリリースしてから各所へ案内をしているのですが、あまりにも「eラーニング」という言葉の定義が、ぼんやりと広がっていることに改めて気付かされました。
主にインターネットを利用して、オンラインで学習する形態をeラーニングと呼ぶのですが、人によってはオンラインセミナー(最近ではウェビナーとも言われている)がeラーニングと捉える人もいます。
また、講義の動画を配信することをeラーニングだと捉える人もいます。

確かに、いずれもeラーニングを構成する要素の一部ではありますが、学習が目的であるという点がすっぽり抜けているように思います。
学習する、勉強するということは、必ずしも講師・先生の声が必要なわけではありません。
学習(勉強)すること=教わること、という概念が定着しているからでしょうか?
日本の学校教育は受験のための学習と化しているので、勉強する=教わったことを覚える(暗記する)、という風に捉えられている可能性が高いと感じます。
しかし本来、学習する、勉強するということは、自分から探求して知識や技術を身につけることであります。
様々な文献を読んで知識を身につけ、実技を繰り返しながら技術を身につける、こういうことが本来の「学習する」や「勉強する」ことであるはずです。
そのうえで分からないこと、解決しないことがあれば先生に質問してヒントをもらったり、噛み砕いて解説してもらったりするものです。

人の声をオンラインで実現するビデオチャットツール(Zoomなど)やオンデマンド動画(YouTubeなど)は講師や先生の声による解説を実現する一つの手段ではありますが、それが学習そのものになるわけではありません。
基本はあくまでも文献を読んで自分なりに解釈し、それを演習して成否を確認していく作業だと考えます。
そうでなければ、講師や先生から言葉で教わったこと以外の事象に出くわした時、「教わっていないから分からない」で終わってしまうのではないでしょうか?
全く応用が効かないようでは、毎回が新しいパターンに出くわす現場での仕事は成し遂げることが難しくなります。

「学習」や「教材」はもっと広義なものでありますが、言葉の捉え方が狭義になってしまっていることが懸念されます。

弊社が提供するサービス「el-Manabi」はeラーニング教材そのものを提供するのではなく、オンライン学習を実施される組織、団体の管理者様が、教材や受講生、その履歴等を総合的に管理するLMS(ラーニング・マネジメント・システム)です。
教材には動画を配置することも可能ですので、解説文と動画を組み合わせたものでも良し、教科書のように文章をメインに画像を組み合わせるでも良し、動画だけの教材にするも良し。
あくまでも、受講生が時間に制限されることなく学習することを念頭に教材を作成・登録していただけるようでしたら、有用なサービスであると考えております。